壮絶な死の間際からの回復と、これからの彼の人生を思う
こんにちは!アキです。
今日はちょっと投資とは全く関係のない、仕事の話をします。
私は某病院のICUで看護師をしています。
病院では亡くなる患者さんも多いです。
沢山の死を経験する医療従事者はだんだんと死に慣れてしまうのです。
そして経験とともに患者さんの死の兆候も分かってしまうようになります。死を受け入れる事が簡単に出来る様になってしまうのです。
そんな私ですが、とても心を揺さぶられる出来事がありました。
人生について、とても考えさせられました。
当たり前のことだけど、忘れがちなこと。綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、生きることには何か意味があるんだと思わずにいられなかった話です。
ブログを読んでくださった皆さんにシェアしたいと思います。
とある患者さんの話
ある日他院から救急搬送されてきた、ある患者さんがいます。基礎疾患は何もない、それまで本当に健康だった若い男性です。
意識レベルはE1V1M1、いわゆる意識がない状態でした。
(アシドーシスも進行してました。カテコラミンでどうにかバイタルサインを保ってた状態です)
検査にて、とある脳の疾患が疑われました。
後に、その疾患は否定されましたが、現段階に至っても原因ははっきりせず、なかなか確定診断には至りませんでした。
先生いわく、かなり特殊な症例だそうです。
呼吸器は一生外せないかもしれないと、恐らく麻痺は残るだろう、またそれがどの程度残るかはっきりとは分からない。一生寝たきりかもしれないと。
鎮静剤を使用していましたが、しかし脳の障害があることは確かで、神経系の評価の為に鎮静剤は全て中止されました。
後に意識が戻った彼は、現実を理解できなかったのだと思います。
頭だけは動いた彼は、泣いて嫌だと首を振るのです。
それはそうですよね。ある日目覚めたら、頭ははっきりしているのに、手足は動かない、挿管されて呼吸器には繋がれている。理解が出来るはずがありません。
挿管とは本当に辛いものだそうです。
こんな感じ。
気管までチューブが入っているので、もちろん食事を取ることも水を飲むこともできません。
通常挿管されている患者さんは、鎮静剤を使用するのが当然ですが、彼は鎮静剤を全て切られてしまったために、頭だけははっきりしてるのに、自分では何もする事ができません。
一生懸命、口の動きだけで、
いやだ
みず
いたい
さまざまな欲求を伝えてくるのです。
だけど、何もしてあげられない事に本当にもどかしく感じました。
彼の言葉を、うんうんと聞いてあげることしか出来ませんでした。
本当に拷問だったと思います。
私が同じ立場だったら、耐える自信はありません。
また彼は当初自発呼吸が全くないので、中々呼吸器を外す事ができませんでした。
それでも少しづつ、自発呼吸が出るようになり、現在はルームエアーでも問題なく過ごせているそうです。しかしここまで行くにもかなりの時間を要しました。
少しづつ手足も動くようになりました。
最初のうちは、
人差し指が少し動いた!
今日は中指が動いた!
そんなレベルでした。
次第に、手を握れるようになった。
手を握る力が少し強くなった。
足が少しだけ動いた。
足を上げる事ができた。
足を曲げる事ができた。
ここまで出来るようになるまでに、1ヶ月以上はかかりました。
今は一般病棟に移り、歩行の練習をしています。
時々、リハビリを見に行くのですが、筋力の低下も著しく、とてもとても辛そうです。
でもいつも本当によく頑張っています。笑顔もよく見せてくれるようになったし、時々看護師を困らせることを言ったり、冗談を言う事が出来る様になりました。
それでも完全に健常な人に戻ることは出来ないかもしれないと言われています。
どこまで回復できるかは、いまだわかりません。
いずれリハビリテーション病院に転院になるため、最後まで彼を看ることは叶いません。
でも彼はきっと死の間際から生かされた人なんだろうと思います。
ただ健康に生きるということは、本当に奇跡的な事なんだと改めて実感しました。
毎日ただ生きてるだけでも、凄い事なんです。
どんなに嫌な事があっても、彼の事を思えば大したことないと思う事が出来る様になりました。
今こうして生きていることには、きっと何か意味があると思います。
私みたいにシングルマザーになってしまっても、それでも私が今生きていることには、生きている意味があるはずです。(多分)
時間を無駄にしないで、今出来ることやしたいことは全部やっていきたいと思います。
いつ私も病気になるかも、死ぬかもしれません。
後悔のないようにしたいと思います。
これからの彼の幸せを願わずにはいられません。
どうか幸せ人生を送る事ができますように。
どうかみなさんも今を大切にしましょう。
何げない1日も本当はとても大切だと思います。